マンタです。普段はスタートアップ企業で働き、週末は音楽や趣味を探求し新しい生活様式を模索しています。
東京にいた頃は良く美術館へいき、アートで精神へのうるいおいを与えていました。しかしここ福岡で且つコロナ禍でなかなか行きたい展示もなかったのですが、福岡は蔓延防止法も明けたので、ちょど7月より始まった「Banksy展」に行ってきました。
しかしバンクシーだからこそではありますが、アートに対する展示の仕方について色々考え直してみたいなと思いました。
バンクシーとは
https://ja.wikipedia.org/wiki/バンクシー
Banksyとは正体不明の匿名アーティストです。イギリスを中心に活動しているようですが、世界各地に出没し、ストリートや壁に作品を作成します。
政治や戦争などを取り上げ、かなりメッセージ性の強い作品が多くあるように私は感じています。
またこちら非常に有名となりましたが、落札と同時に作品がシュレッダーにかけられるというある意味「芸術作品」を我が物にしようとする金持ちや資本主義そのものへのアンチテーゼのようなスタンスが注目される方になります。
そんなバンクシー展があるので福岡・赤坂へ行ってみた
2020年3月横浜から始まり、2021年7月に福岡まで来ました。やはりこういう展示作品は首都圏からスタートなので、1年越しですね。
そう考えると、私が東京で見た「高畑勲展」もちょうど今福岡でやっているのでやはりこの辺りの時差は致し方ないのかもしれません。
バンクシーのスタイルと展示への違和感
普段イギリスの街角でしか見られない「Banksy」の作品を大きな縮尺で見ることができたりするのは非常に良かった点なのですが、Bansky展というそのものに彼のスタイルとのギャップしか感じえません・・・。
先程のシュレッダーの仕掛けについてもそうですが、彼は作品が「資本主義」の「金を儲ける道具」として利用されることを嫌っているように感じます。
そんな彼の作品が、実物ではなく写真等で展示(一部持ち出し可能なものは実物がありますが)され、チケット制でばら撒かれ、最後にはいつものようにお土産コーナーで何かを買わされそうになる・・・
この構造に彼の作品が利用されていることに違和感を覚えました。
もちろんアーティストにとって「マネタイズ」というのは、必要な要素の一つだと思っています。それができずに散ってしまったアーティストも数多くいます。
特に代表的なのはゴッホでしょう。彼が生きている間に売れた絵画はたった1枚です。しかし彼の死後、その作品は何億という価格で取引されています。彼には一銭も入らないのに・・・。
アーティストの作品がこのように資本主義の金儲けの道具と化すこと、これこそがBanksyが嫌っているもののように思えてなりません。
私の考えるBanksy像とアートの今後について
今回の展示のタイトル「GENIOUS OR VANDAL(天才か反逆者か)」については正直どちらでもないと思っています。
Banskyは素直な子供の心を持った”ストリートアーティスト”だと理解しています。彼にとっては名誉はどうでもいいいのです。おそらく嫌いなものに対して皮肉たっぷりな作品を街中に作り、いい顔ぶった大人たちが驚き、慌てふためく様を見たい、ある意味での愉快犯だと思っています。
しかし、このBanskyのスタイルこそが本来アートが持つべきものだと思っています。商業主義にも資本主義にも翻弄されない「表現の自由」。それをある意味一番ストレートに表現するものが「アート」作品であるべきなのです。
そしてそういう作品はどこかの個展やだれかの資本で行われるものではないのです。
一時期非常に話題となりましたが、「表現の不自由展」などはまさにそれだと思っています。いいんですよ、別に。「表現は自由」なんですから公園とかで自分たちでやればいいんです。後援者がいればそういう人たちとその人たちの施設でやればいいんです。
それを公的な場所というか国の税金が投入されている場所である種そういうサポートしている人を揶揄するメッセージを発信する展示をやる訳ですから叩かれるんですよ。当たり前です。自由には責任がついてまわるのですから。
だからこそBanksyはストリートでの表現に拘っているのだと理解しています。自由であり続けるために誰のものでもないストリートで表現を行う。そしてそれは犯罪(国にもよりますが日本では犯罪にあたります)であるが故に個人を明かさない・あかせない。極端な言い方をしてしまえば、彼は犯罪者とも捉えられるわけですから。
色々思いを書きましたが、結果的にはBanskyの作品は現在のアートとして素晴らしく、そしてメッセージ性が非常に高い作品であると思っています。また同時に街中に作品を作成するという犯罪行為も相まっておりますが、「自由な表現」を徹底している素晴らしいアーティストであるとともに、私は愉快犯的な側面であると思っています。
賛否両論、かつ解釈はかなり自由にできると思いますので、一度「Banksy」というアーティストを理解するために、彼の作品に触れてみるのもありだと思います。そういう「考えるきっかけ」としてであれば、今回の展示も意味が見出せるのかなとそう思いました。
同じ土俵で語るには本当におこがましいですが、一人のアーティストもどきとして色々考えてみました。
福岡展はかなり長くやっていますし、事前のチケット購入もなかなかスムーズだったので「考えるきっかけ」としてぜひ一度行ってみるといいかもしれません。
本日もご拝読ありがとうございました。
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