マンタです。普段はスタートアップ企業で働き、週末は音楽や趣味を探求し新しい生活様式を模索しています。
今回は「書く」ということについてです。
前々より私は紙が嫌いなため、紙とペンの代替として、iPadを利用しています。
今回は「筆」そして「偶然性」という2つをテーマにしてみます。
筆の偶然性ということに気づいてたのは双雲さんと成田さんの動画
クリエイティブであることとかの切り抜きなのですが、その中で筆の不安定さに触れています。
確かにその不安定さゆえに同じ線は2度とかけない刹那的なものが筆にはあると思います。
そう考えた時にまずは「書く」という行為から入ってみようと思いLOFTに筆ペンとノート(モレスキン)を買いに走りました。
非デジタル故の「物質」としての文字
これがサンプルで書いてみた文字です。
過去書道は習っていたことがあったので基礎はあると思いますが、どちらかというと文字のイメージを大事にして筆を走らせているイメージです。
そこで感じたことは、やはりペン先の掠れぐらい、次の文字で繋げる時の上げ下げ、ペン先が触れていないようで触れている感じは、ApplePenでは味わえない感覚です。
ペイントソフトの中には「ブラシ」という機能がありますが、これは色を塗る際のブラシを指しているため、筆とは一線を画します。
もちろん筆で書くようのアプリもありますが、この擦れる感じ、そして手へのFBがない部分がやはりデジタルと非デジタルを分けるなぁとつくづく思います。
「物質」としての文字は心を安定されせる?(これはプラシーボ効果か?)
もう一つ、この筆で文字を書くことによって、不思議と明確に心の安定を得ることができました。
これは自分の思いを吐き出すという点がつながっているのかもしれませんが、手という身体と、心、それにより生み出される「物質」としての文字が連動し、「心を”物質”として形にする」という”物”として体の外に「吐き出せた」という感覚が強いのではないでしょうか。
よくうつ病治療の中に3行日記というものがありますが、これも心の中の考えを体の外に出すということが目的なので類似しているのかもしれません。
そいういう観点だと、タイピングによる日記やApplePen+iPadへの記載という行為は「物質」としては存在しないもののため、人間の体の認識がまだ追いついていないのではないかなと考えています。
クリエイティブであるということとは?
「NFTアート」によるデジタル空間での”現物”としての価値が生まれ始めたいま、より「クリエイティブ」であるという枠の幅を広げていかないといけないのかもしれません。
今までは物質的なもので表現をしていたものが、非物質(デジタルデータ)としての表現に代替されていくように思っています。
しかし逆を返せば、物質的なものの価値がなくなる=それ自体が本来の意味を持ち得る=今とは異なる概念なると考えると、物質的なものそのものがクリエイティブなものとして捉えられるようになるのかもしれません。
元来私は「音楽」という形のないものを作ることを、趣味としていますので、この形のないものをいかにうまく進めていくのか、そして形があるものをいかにデジタルデータとして表現していくのか、この辺りは今後の動向や自分の考えなんかを整理して、実際にアウトプットしてみようと思います。
「ネットは広大だわ」
1997年に公開された「攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL」の草薙素子の最後の台詞ですが、この意味がいろんな意味で現実のものとして理解できて気がします。
その一端として今回”筆”と”書”というキーワードで雑記を書いてみました。
このように少しズレた視点をもって世の中を見てみることも、普段の生活との切り替えができて面白いですね。
気づきのたびに整理して行ってみたいと思います。
この行為が点となり、いつか線となる日が来るかもねと思いながら
本ブログ以外にもYoutubeやTwitterでも情報を発信していますのでよかったら覗いていただき、フォローいただけると励みになります。
ブログ再開してみました。
noteとかとうまく併用していければと思います。youtubeとかももっとうまく利用できると面白くできそうかなぁhttps://t.co/6gMgoaFYfM
— マンタ|自由人 (@chopindepon41) May 29, 2021
本日もご拝読有難うございました♪
引き続きよろしくお願いしマンタ!!!
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